作文

気が向いたので、先日部屋の掃除をしていたらでてきた高校の時の作文集の自分の作文を載せてみる。
誤字脱字はあえてそのままです。直すのが面倒くさかった訳ではありません、決して。作文の臨場感をより皆さんに感じてもらう為です^^

改めて読み直してみると、今とそんな考えていることというか考えていることの方向性というか、そういうものが変わってなくて何故か少し安心した。
こんな、哲学的というか認識学的な考え方をした高校二年生なんだと思うと、少し可笑しい。

作文集『二年生になって』 平成15年4月


僕は二年生になって、自分が大きく変ったと思う事はありません。だけど、幼い時から今の自分に成長してくるまでに、本当に少しずつゆっくりと変化してきた事があります。それは、見えるものと見えないもの。今では子供の頃に見えてたものが見えていないのかもしれない。幼い頃には、空は青く海は深く、もっと世界が大きく見えたような気がした。確か争いなんて事には、勝ち負けくらいしか価値を見出せなかったと思う。しかし、一つ一つ世界や物事を知っていくと、見えなくなっていってしまうものもあった。今の僕には、幼き頃に見えていた幾つもの事が、見えなくなっているだろう。だが、見えなくなったものもあれば、新しく見えてきたものもあった。その一部には、都市、国家、政治、経済などがあった。そして又、人の生き死にや戦争もあった。近頃、僕には特に戦争の事が鮮明に見える気がする。今回の戦争の発端となった、ニューヨークのテロ事件。このテロで、五千人以上もの人が死んだと聞きます。五千という数字を、数字だけでみると、一が五千個あるだけだ。けど、死んだのは「人」だ。死んでしまった人、五千人には一人一人違う想い、目標、大切なもの、そしてドラマがある。人、一人の壮大な人生が、五千人分もの数が失われてしまった。それを五千という数字だけで、語ってしまうのは本当に怖い事だと思う。第二次湾岸戦争でも大くのイラクの人々が死にました。人類は戦争を繰り返してきて、戦争の悲しみを皆、知っているはずです。なのに今回の戦争について賛成した国々、支持の立場をとった日本に人としての人間性を疑問に思い、また、見えないものをみる力、真の思いやりの心を持って欲しいと、最近の僕は、毎日思うようになった。