正しく理解するということ

「今日死ぬかもしれない…」
そう思わない奴がみんな死んでいる

車は楽しいだけのモンじゃねぇし
ましてやただのアシでもねェ

100馬力のファミリーカーも
800馬力の怪物マシンも
公道を走る以上すべて凶器


湾岸MIDNIGHT』/楠みちはる 5巻 P.198より

包丁も同じ。
それを握る以上、命を助ける道具にも奪う道具にもなる。
どんな知識も文明の利器も、その使う者次第である。
それを正しく理解し、正しく使う。
簡単なようでとても難しいこと。


今、TVでは体罰問題とそれを隠蔽していた学校のニュースを良く目にする。
体罰を肯定するつもりはないけれども、色んな意味で「痛さ」や「痛みを感じる心」を教育として子どもに知ってもらう必要はあると思う。
そうでなければ、ただ楽しいことしかしらない脳天気人間の出来上がりだ。

「最近の若者は…」なんて言葉は古代からあったらしい。
だがしかし、その最近の若者に仕立て上げている要因の大きなひとつとして、「最近の若者は…」と言っている大人たちがしている教育があるだろう。

言わせて頂けば、若者が腐っているのは教育、学校が腐っているからだ。
その腐った教育しか行えない大人や学校が蔓延している以上、それで育った若者が行う教育とて必然と腐ったものが多くなる。
腐ってなくとも、周りが腐ったものばかりであれば腐らずにいることは非常に難しい。

だからこそ、その負の連鎖を今日、いま、一刻も早く断ち切る必要がある。
この国の復興は、まず何よりも最初に時代と個人に併せた義務教育の再編、及び施行に必要な人材を集めること。

ただ、教育を学校のせいだと一辺倒に押し付けるのではなく、家庭でもしっかりとした教育をする必要がある。
親が子どもに一番してやらなければならないことは、「親が死に子がひとりになった時、その子がひとりでも生きていけるような力、考え方を身につけさせてやること」だと思う。