罪から逃れて

昨日、私の住んでいる町の山の麓付近に熊が現れたというニュースが流れた。

今日には、その熊をハンターが銃で駆除した、というニュースが流れた。

ニュースでは一巻として「駆除」という言葉が使われている。
精神ある生物の生命を銃で奪ったのだから、それが熊であれなんであれ「駆除」ではなく「射殺」ではないのだろうか。

「駆除」という言葉を使って、生命を奪ったことへの罪を薄れさせ、感じないようにしているように思える。
それは、生命への冒涜だろう。

大なり小なり、生命あるものの生を奪ったのだ。その罪深さを忘れるわけにはいかないだろう。奪った者には、その事実から目を逸らさずごまかさず、きちんと向き合い背負っていって欲しいと思う。