今日という日

今日という日を迎えた。
天気の良い日だった。

誰にという訳でもないんだけれど、いつものようにどうしようもない無職の生活を送るのが申し訳ないような気がしたので、14:46から少しの黙祷を捧げて、カメラを片手に写真を撮りに出掛けた。

太陽を脊中に浴びながら、今日という日の景色を見て、住んでいる街並みを見て、撮って歩いた。

そこには何も変わらない日常があった。ただの日常しかなかった。
ゴミステーションは相変わらず烏に食い散らかされ、放置された自転車は雪に埋もれている。

道ですれ違った人が、原発や今日という日についてどう考えていたのかはわからない。けど、手を繋いで歩いている親子が心なしか多く感じて、そんな親子がいつもより愛おしく見えた。


今日で、震災から一年。
被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。